昭和48年12月18日 月次祭



 もう今年も、あと二十三日の月次祭一回になりました。三十一日の除夜祭、今年もいよいよ残り僅かになった。お互いの信心を、省みると言うか、私共の信心がどのような方向に、どのような風に進ませてもらったか、進んだか後退したか、確かめてみるべきだと思います。先ほどお祭りを始めさせてもらいます前に、大和さんから、こんなお届けがあった。今朝方から御夢を頂いた。その御夢がここが、柔道か何かを教える道場になっている。私がそこのまぁ館長というですかね、柔道の先生らしい。
 そこへおられるのが、大和さんご自身と、高橋さんがおられる。それからむつ屋の信司さんがおられる。ご自身と高橋さんは、柔道着を着けている。高橋さんは、つい作ったばかりと言った様な、さらな柔道着を着ておられる。さぁほんなら、信司さん少し稽古をつけてやろうかと、言うたところが、信司さんは柔道着を持たない、と言った様な御夢であったという事です。
 お互いがここには、信心の稽古に来るところと言われるのですけれども、稽古に来ておるという人は、本当に少ない、柔道着すら作っていないと言う人が多いんじゃないでしょうか。けれども、まぁ信司さんの場合は、もう作らにゃと言いよるところらしいです。例えば、高橋さんのように、とにかくいうならば、朝の三時半にはもう、福岡からここへ出てきておられる。しかも十何年の信心が、このようにして続いておると言うても、まぁだようやく、つい最近柔道着を作ったばっかりだと言うのですから。
 お互いの信心を思うて見たら、本当に稽古せんならん、稽古せんならんと言いながら実際は、本気で稽古をする気になっていないと言う事だと思う。私は思うて見なければいけませんよ。なるほどここの道場に通うては来ておる。けれどもほんなら、先生に手を取ってもらって、ほんなら教えてもらうと言うようなです。話しは聞いておるけれども、本気で稽古をしようと言う事になっていないのじゃないか。
 そしてその大和さんが、さぁ信ちゃんなち言うた、ところが相手が、柔道着をつけとらんもんじゃから、どんこん教えようがないね。掴めるところもないと言う様な感じなんです。それでも私は、もう力任せに投げたところを頂いたと、こう言うのです。これは不思議なもんです。本気で稽古をしようという気になりますとね。その教えられるです。叩いてもおごってでも、教えられるです。
 ところが本気で稽古をしようという気のない人にです。例えば少しいらひど言うと、もう先生が妙なこと言いなさったとか、おごられたとかと言うてから、信心をおろそかにする。いわゆる本気で言うならば、その柔道着に身を固めて、さぁ一手どうぞ教えてくださいと言う構えを作らなければ、稽古にはならないと言う事です。おかげは頂きよりますよ。だから、おかげに甘んじ、おかげに腰掛けておるということなんです。おかげは稽古をする気にならなくっても。
 それこそ今高橋さんが、ここでお届けされますように、私が高橋さんのお宅に宅祭りに参ります時に、まだ三回しか会ってないと言う、お母さんのお友達が今朝から御夢を頂いて、合楽の親先生のお姿をはっきり頂いた。しかもその親先生がこの教衣を着けられて、あの幣をもって私の娘のねお払いをして下さっておる所を頂いた。何かがあるに違いないから、よろしくお願いしますと言うて、お初穂をもってお願いに来られた。
 いうならば、私とただ二三回、お祭りで顔を会わせたと言う様な意味においての、薄い縁のようであるけれども、神様はもうその上に、いやその人のまた娘の上にまで、そういうおかげを下さってあると言う事なんです。向こうにどういう風に伝えさせて頂こうかと言うから、自分の胸に手を置いてみて、こんなことじゃぁおかげは受けられないと言った様な、例えば不浄けがれでもあると言うか、そういう様なものを、祓うて下さっておるとじゃろうねと言うて、まぁ申しました事でした。
 今日はちょうど、久留米の井上さんの所の、お父さんの式年と、それからご兄弟、それからそのお子さんの、三柱の御霊様のお祭りがございました、二時から。二時からですから、もう教衣を着けて、まさに出ろうとしておりましたら、こちらのほうでまぁだ、ご親戚の方が揃うておられないと、こう言うからそれから、ほんの何分か待っておるところへ、あの日田からと言うて、夫婦のお参りがあっている。親先生にお目にかかって、お礼を申し上げたい。
 ほんならちょっと、こっちへ来てくださちと言うて、共励殿でお会いさせて頂いた。もう共励殿に入ってきて、座られると同時に頭をつけて、頭が上がらなかった。夫婦の人が涙をぼろぼろ流しながら、おかげを頂いて有難いと言うておられる。この十四日の日田の共励会に、私が年末ですから、是非私にと言う事であったから、私が参りました。そして私の話を聞いて下さった方なんです。もう不眠症で大変難儀をしておられた。もう本当に、気違いになる一歩前の様な事であったそうな。
 ところが私のお話を頂いて、私がほんなら、今晩から神様にお願いしますよち、と言うて別れたが、その翌日電話が架かってきて、もう久し振りに熟睡のおかげを頂いたと言うて。もうそれから四日の晩から、五日、六日、七日、八日、今日で五日。だから夜を四日過ごされた訳だけれども、その四日とも、もうそれこそ前後不覚に熟睡させて頂いておると言うて、主人のほうが有難い。家内が難儀をしておりますと、やっぱり家内の難儀は、そのまま主人の難儀。親が難儀をしておる、子供が難儀をしておる。
 やはり子供が難儀をしておれば、そのまま親の難儀である様にです。家内がもう、本当にもう、喜びの涙を流して、はぁ今日も、親先生のおかげで眠ることが出来たと言うて、布団の上でお礼を言うておる。今日は揃うてどうでも、お礼を申し上げなと言うて、参ってきておる。はぁあそこの所へはぁ良かったね、何分かしとらお祭り中に、そのご挨拶することも出来ない。ちょうどおかげを頂いたねと言うた。だからおかげと言うのは、そう言う様にしておかげを受ける。
 昨日は延岡から電話が架かってきた。これも先日の研修会の時に、ここでお参りをしてきておったから、ある複雑な難儀な問題、もう本当に難儀な問題。まぁ世の中には様々な難儀がある。お金はあるものはあるけれども、それでもやっぱり難儀と言うものは、やはりこの世は苦の世、苦の世界だと言われる程しに、難儀が満ち溢れているなと思う。私の言うた一言を実行した。おかげでそのおかげが、東京辺りまでも要した。
 そのおかげの有難い話しをさせて頂いたら、ある難儀な人がそう言う所なら、私も一遍お引き寄せを頂きたいからと言うて、何時何時ごろ、おかげを頂きたいが、親先生がご在宅のときに出たいから、よろしいだろうかと言う電話が架かってきた。ですからおかげと言うのはです、なら皆さんでも、本気で信心の稽古をしようと、取り組まなくってもです。柔道着を作っていなくってもです。
 縁のある限り、やはりおかげを受けておると言う事である。けれどもねおかげを受けて、信心を受けないというなら、この様につまらん話は無いのです。おかげを頂く同時に信心も頂いていく。信心をただ頂くと言うただけでは、いうならおかげは今の様にです。たった三回会うただけでも、それこそ信心すれば目に見えるおかげより、目に見えぬおかげが多いと仰せられるほどしのおかげが、どこにかおかげになっていっておる。お取次ぎを頂いてお願いをする。
 一遍私に会うて話を聞いたら、もうそこに医者でも薬でも出来ん、ある教会にもお参りをさせて頂いて、どうしてこんなに違うだろうかと、日田のその信者はたまがった。信心のなかった主人までも一緒に着いてきて、一言お礼を申し上げなければと。もうそれこそ、顔を見るなり有難涙のほうが、先にこぼれる程しのおかげを、実感しておるのである。おかげを頂いて有難い。だからおかげを頂いて有難いというのはね、実をいうたら有難いのじゃない嬉しいのだ。信心を頂いて初めて有難いと言う事になる。
 今朝からの御理解のなかにも、立教神伝の一番最後の所、親にかかり、子にかかり、あいよかけよで立ち行くという。氏子信心して繁盛いたし、親にかかり、子にかかり、末々繁盛いたすこと。一番最後のそこんところの一説の事について、今朝から頂いた。御神意を対するという、そういう言葉が御道の信心者の中に取り交わされる。御神意を対する、神様のお心をお心とすると言う事なのです。
 それは私どもが、先ずはおかげを頂き、繁盛すると言う事なんです。しかもそのおかげを受けた繁盛すると言う事がです。神も助かりと言う事にならない。親と子が、あいよかけよで立ち行く道が開けてこなければならないと言う事。そこがちょこっと違う。ただおかげ頂さえすら良いと言うのじゃない。おかげを頂き信心を頂いて、末々までも繁盛すること。しかもその繁盛が、天地の親神様の繁盛に繋がり、天地の親神様のお喜び頂く事に繋がっていく。
 いうなら神もままになるなら、氏子もままになるというおかげ。そこがです御神意をたいして、御神意を対してからのおかげ。ただお願いをしておかげを頂いておる。ここに通うて来て、言うなら柔道着も持たずに、柔道の稽古に来ておったんでは、稽古のつけようがない。そこでです、今朝の御理解を頂いておりますと、ちょうど今大和さんが頂かれたような、信心は先ずは力を、確かに頂くことなんだけれども、力だけではいかん、技が必要だと言う事なんです。今日の御理解はそれを違った角度から頂いた。
 今日私御神前に出らせて頂いたら、歌舞伎十八番の勧進帳を頂いた。勧進帳のあの山伏問答の所である。勧進帳を広げて、あの読むところがあります。勿論勧進帳のあろう筈はないのですから、そのそれを空読みする。中は白紙だ。言うならば、これは弁慶の腹芸であり同時に度胸なんだ。もうそれこそ背水の陣じゃないけれども、一歩でも後ろには下がられない。ここはどうでもこの安宅関を越えなければならないという。お互いも信心の、これはどうでもおかげを頂かなければならん。
 この事だけはご成就のおかげを頂かなければならないと言う、その峠に差し掛かった時にはです。それは関所なのだから、その関所をいうならば越えさせて頂く為には、度胸が要ると言う事です。所がその弁慶がねこうやって広げておるけれどもね。こうやっとるですよ。所が目は向こうの方の、足元の所ばっかり睨んどる。と言う様な情景であった。人の足元ども見よったっちゃ、人の足元どんが分かる様な事である。
 言うなら難儀のせいを、人のせいにどもする様な事では、おかげは受けられないて。信心には度胸が要る。今度の御本部参拝に、日田の綾部さんと、北野の関さんがおかげを頂いた。二人とも、娘が、二人とも初産である。しかも御本部参拝は、もう日にちが過ぎておるから、何時飛び出すやら分からんと言う状態。親先生のお取次ぎを頂いたら、御本部参拝をして腹の事は、神様にお願いして行ったら良かろうと言う事であった。そこで度胸を据えたわけです、綾部さんもそうである。
 そしたら、帰らせて頂いた翌日、関さんのほうは娘の子が生まれた。綾部さんは、御本部参拝のおかげを頂いて帰ってきて、娘は国東のほうへ行っとりますから、御本部から帰って、今度は十六日の合楽の御大祭がある。その御大祭を頂きゃそれから先は、何時生れても良いから、それまではどうぞ、ここのなかにと言うお願いであった。だから綾部さんは、親先生にお願いお取次ぎを頂いておるから、おかげを頂くと安心して。
 ほんならあの十六日の日も、ゆっくりしてそれから十七日の朝、あちらへ立たせ十七日の晩に娘の子、安産のおかげを頂いたと言うて電話が架かってきた。これなんかは度胸ですね。そこで、ただね、度胸を据えて、おかげを頂くという事がね。どう言う事かというと、ははぁ生きると言うことも、死ぬると言う事も、この神様のおかげを頂かなければ、本当の、死に生きはできないという事を分からせて貰うと言う事が素晴らしいことじゃないでしょうか。死ぬる事もまたおかげなら、生れることもおかげだ。
 北野の中村さんではないですけれども、医者はもう今日明日と言うとるでしょう、お父さんの病気が。けれども椛目の親先生と、御本部参拝をさせて貰う事は、神様に誓ってある。親先生どうしようかと言うから、病人の事は神様にお願いをして、御本部参拝をさせて頂けと私は申しました。少しは不安であったけれどもお参りをした。お参りをしておる間は、何ともなしに心が落ち着いておったけれども、帰る汽車の中からひょっとして、帰ったら表に忌中の札が掛って段おらんじゃろうかと言う事が不安であった。
 表まで来たら裏のほうで、娘達がキャーキャー言うてから、笑うてから何か話ししよる。はぁおかげ頂いたと思うたと。そしたら病人はその日から、機嫌が良うなっとった。帰ってきたら、御本部のお土産話を聞いて、お土産に買うてきたせんべいども頂いて、そしてから、今からお前達に遺言ばしとくから、聞いとけお前達は、何か俺に言うとくことはなかかち。言うとくこつはなかかち言うちから、あんた方が、どうか言わじゃこてち。あぁそうじゃったね、そんなら合楽の先生によろしゅうち。
 それぎりじゃった。素晴らしいお国替え後に、後顧の憂いがない。もうこの人どんが合楽にご信心を頂いておるから、もう心配な事はない。自分はこうやっておかげを頂いて、お国替えをしていく。どうぞこれからのことも合楽の先生に、ただよろしくと言う事が遺言じゃった。なるほど俺に言うとくことはなかったかと言う事は、ぼうけちからじゃなかった、ほんな事だったと、私は今にして思うです。そう言う事から見て、人間の生きる死ぬると言う事がです。
 こらもう一切のことがこの神様のおかげを頂かなければ、これをこう持つ事すらが、この神様のお許しを頂かなければ持てないんだと。生きる事も死ぬる事も、神様の自由自在だと言う事を、私共は先ず分からなければいけない。信心の根本御道の信心の根本は、ここが分かる事なんです。だからおかげでいわゆるお引き寄せを頂きました。お参りをさせて頂いたと言う事なんです。私が参ってあげましたと言う事は言わんでしょう。その内容が私共の、信心生活の内容であらなければならないと言う事なんです。
 信心には言うならば度胸がいる。ここで一つ度胸を作らなければならぬという時に、人情人間心ばかり使うてから、こう行くなら何時までたっても、神様を信ずる力などは生れてこないです。そらどうかありゃすぐ薬。さぁどうか困ったら、もう人に頼むそれをです、神様に一心にすがっていくという姿勢をとらにゃ。いやその事が信心の稽古をさせて頂く、言うならその問題と四つに組んで、信心の稽古をするのだ。そこに力がつく。やせ細っとって力を出せち言うたっちゃ、そらもうむつかしかです。
 そら幾ら技が出来ると言うても、やせ細っとって力無しに、技だけじゃどうにも出来ん。力もあり同時に技もありでなからにゃいかん。だから先ずは私共が、ふとらにゃ大きゅうならにゃいかん。勿論腹がです。もうちょっと人がどうかありゃ、もう腹ん立って応えん。人がこうどんいやもう心が真っ黒うなる。これは心がこまい証拠なんだ。そこで先ずは心が豊かに大きく、太らせて頂く所の稽古を、先ずしなければならぬ。
 私がむつ屋の信司君に、この人にそれこそ、本気で信心の稽古をする気にならんもんだから。大和さんじゃなかばってん、掴みどころが無いち言う。毎日参って来よるばってん、こらこらち言うちから掴められんと。お参りしてつうっと帰る。こらちょいとご理解いただいて帰らんかと言おうごたるばってん、掴めどこがない。そりけんち言うて朝の御祈念にどん、しゃんとして参って来りゃ良かけれども、朝の御祈念は参ってこんけん御理解も頂かん。掴まえ所がないでしょう。
 だからまここへ来て、なんかちょっと話がなんか、ちょっと話しが出来たら、信ちゃんもう大きゅうなること以外にないばいち。もうあんたが、大きゅうならにゃ、むつ屋は大きゅうならんばいち。あんたが大きゅうなることばい。もうこの一言だけば言いよるです、一生懸命。ほんなら先生どげんすれば、大きゅうなりまっしょうかと、彼がどういう風にして、言うて来るだろうか。合楽が青年会長としての、いうならば、大事な御用をさせて頂いておる。
 いわゆる信心を元にして、例えばお店の経営と言うものがなされ、いわゆる社会の様々な問題がです、信心でおかげを頂いている。今日御道の新聞に、広告が出ておった。あのダスキンと言うのが、大変流行していますよね。こう雑巾の。あちらの社長さんが、御道の信者さんである。この人が何とかと損をすると。われ損の道を行くと、われ損の道を行くち言う。それでいてどんこん儲かって、どんこんされんち言うごと儲かりよる。私は金光様のご信心は、これだと思うんですよ。
 目先のこげんしてこげんしてこげんすりゃ、幾らになると言う事ばっかりしか考えておらん。どうぞその事だけは願っておると言った様な事ではなくてです。なるほど神様が十銭のものなら八銭で売れ、二銭は目先損の様であっても、数が余計売れるから、そのほうが徳だと仰る様に、私は教えを元にしての信心でなからにゃいかん。ここでも私が皆さんに、さぁお供えして下さい。
 さぁどうさぁご普請ばするけんでどうち、誰も言わん。けれどもこの様にして、ご普請は出来ていく、私は何時も言うように、本当にお宮は信者時代に拝みよったお宮だけでいい。お広前はあの四畳半なら四畳半一間でもいい。そこに何時も助かる人たちが、もう、後から、もう外に待っとるぐらいでいい。大きなところも要らなければ立派なところも要らん。人が助かることさえ出来れば、それで良いと言うのが、私の生き方なんです。それでも、やはりお広前はどんどん広がっていく。
 はぁ合楽の先生は腑の良かち、だからよその先生達が言う所以が、そこにある訳なんです。果たして腑が良いのだろうか、われ損の道を行くところに、損はさせないという働きが生れてくる。たらいの水を向こうに押す。だからこちらへ返ってくる。それをわざとこうこやって引き寄せよると、ほんの僅かばかしがもうそれも、こうこしよらんとずってはこんとじゃ。忙しか。はぁもう忙しゅうして、忙しゅうしてお参りも出来ん。そう言う事では、本当のおかげにはなりません。
 例えばほんなら、高橋さんの場合、信心の稽古も出来よらん。ようやく最近柔道着を作ったぐらいであってもです。例えば教えに基づいての、御神意のままでの御商売をしておるから、御商売はどんどん繁盛しておる。従業員がもう百名からおるおすし屋さんで、十三の店が、九州全土に広がった。ご自分な合楽の教会に、ほとんどおられる。教会の御用のほうが多いと言うぐらいに、総務の御用を頂いておるから、なかなか忙しい。それでも、やはり、繁盛しておるでしょう。
 それが本当に軌道に乗った時がです。本当なもんです。まぁだ本当なもんと言う事じゃない。これから本当に信心の稽古を出来て、そのさまざまな難儀な問題に取り組んでです。いよいよ技を体得させて頂く、力を頂いていくという、おかげを受けた時に、本当のおかげであり言うならば、神様が喜んで下さるおかげなんだ。神も助かり氏子も立ち行く。親にかかり子にかかり、あいよかけよで立ち行くという道が、これから開けてくると言う事になります。
 もうあと月次祭としては、二十三日が最後です。今年最後の御月次祭が、二十三日であります。そこでですお互いがね、本当に一つ柔道着だけ位は、作りましょうよお互いに。どうですか親先生から、こう捕まえられる、はぁよう参ったのち言われるぐらいな態度で出られるときには、柔道着を持っとらん証拠です。もう私は昨日、久し振りでそのみんなば反省会の時に、おごらせて頂いた。所がもう実にさわやかである。
 ところがおかげをその受けた者も、みんな西岡先生がみんな帰りなさる時には、もう本当に今日は、親先生がら、ぎゃふんち言うごつやられたばってんが、もう本当におかげを頂きました、おかげ頂きましたと言うてみんなが帰った。昨日いわば反省会に来とった人達は、まぁ柔道着を持っとったかも知れん訳です。それでなるほど怒られれば怒られるほど、いや怒られる通りの事であるからです。
 そこをまぁ改まっていくと言う事でございますけれども、やはりもう幾ら何でも、まぁ私はそのおごってまで教えようとは、もうこの頃思わない実の所。だから本気で稽古をさせて下さいと言ういうならばです。昨日筑水連合会の、役員の方達の忘年会のような事が、久留米の初」寅であった。うちから秋永先生が出た。ちょうど七時半ごろだったでしょうか帰ってきて、私が裏で休んでおりましたらやってきた。杷木の信徒会長である、市川さんも一緒であった。
 段々こうお話しをさせてもらいよったら、つい信心話になる。どうでしょうか、あれから私が八時のここへ御祈念に出らんなんと思いよったら、もうここへ出てきたときには、もう九時じゃったから、やっぱ一時間半ぐらいは、もう一生懸命話しよったら涙が流れてきた私は。例えばほんなら、市川さんにしろ、秋永先生にしろ、その別にその言うなら、いっぱい機嫌で帰ってきとるとこですから。
 そげな話しにもならん筈にもかかわらず、もうとにかく、その段々世間話的な話しが信心話になって、私自身が涙が流れるほどしの、力の言うならば入れようであった。これは私じゃない神様が、力を入れて、本人達に教えておられたと、私は後で思うた、それはやはり、市川さんあたりの信心の、言うなら求道の姿勢と言うか、本気で稽古をさせてもらおう。本気で信心を分かろうと。合楽にいきゃおかげ頂く、なるほどこの人は、合楽で胃がんのおかげを頂いた人なんです。
 ○○教会におる時には、やっぱり手術をせんならんところだった。けど私は手術をせずにおかげを頂けと言うて、おかげを頂いた。それから繁々とここにも参ってくるようになって、いうなら一言でも、先生の話を頂いて帰りたいという、そこからです。もうお話と言うものは、私がするとじゃないなぁと何時も思うです。だから本気でです、私と皆さんが会って、信心話にもなっていかないとするなら、自分に受け心がないからだなと、先ずは、悟らにゃいかんです。
 自分がまだまだ、柔道着を作ってない証拠だと分からにゃいかんです。だから、先ずはほんなら、信心の稽古をさせて頂こうという姿勢を作らなければいけないです。今年僅かですけれども、今から間に合わんことはなかろうと思う。柔道着を一つ作ろうじゃないですか。柔道着を持ってここには通うてこうじゃないですか。ここには信心の稽古に来るところ。おかげはわが家で受けよと仰せられるのですからね。
   どうぞ。